会長就任のご挨拶 会長 稲積 幸子
SMA家族の会会員の皆様、今度SMA家族の会会長になりました稲積幸子です。 去年は関西支部長として役員に参加させていただいておりましたが、今回、会長という大役を引き受けさせていただきました。会長というものがどんなものかまだ分かりませんが、皆様のお役に立てれば幸いです。皆様の助けをお借りして頑張っていきたいと思っていますのでよろしくお願い致します。
娘がSMA3型です。今年めでたく公立高校へ進学し通っています。学校への送迎が始まりました。車の免許を持っていなかったので2年前に免許を取得し、車での送迎をしています。学校まで車で30分はかかります。 娘が通う高校は前々から障害を持っている子供達を受け入れていたので、試験や合格した後の話がスムーズでした。同じ1年生に娘を入れて3人車椅子で学校へ通っています。今まで同じ学校に車椅子で通っている子はおらず、ちょっと寂しい思いがあったようです。今回は2人も一緒になったので心強いみたいです。
ここで会員の皆様へお願いがあります。関西支部を立ち上げて3年目になりますが、まだまだ定例会も手探り状態でご迷惑をお掛けすることもあると思います。定例会へ会員の皆様が多く参加していただくように努力させていただきます。定例会でこんなことをして欲しい、こんなのはどうですか?などのご意見をお聞かせ願えませんでしょうか。会員の皆様が来やすい定例会をと考えておりますので、宜しくお願いいたします。
副会長ご挨拶 「会長任期を終えて」 副会長 慎 蒼健
2004年3月の総会において新しい会長が選出され、2年間の会長任期を無事に終えることができました。会長交代に伴い、本部も関東から関西へと移行しますが、その経緯につきましては別稿にて紹介するものとして、本稿では、この2年間を回顧し、その成果について書き記したいと思います。
当初、私は会長職を福島慎吾さんから引き継ぐにあたって、会員の自主的・主体的参加がなくして会の発展はないという所信を表明しました。その点から会の2年間を振り返ったとき、SMA家族の会は確実に一定の進展をみせたと考えています。それは何よりも、関西支部が設立され、支部活動が軌道に乗ったことで証明されています。また、設立当初から懸案であった「SMAのガイドブック」と「SMA家族の会のシンボルマーク」作成のプロセスにおいては、成人会員の方々が積極的に参与され、2002年にハンドブック『SMA(脊髄性筋萎縮症)ってなに?』が刊行、2004年3月の総会ではシンボルマークが初めて紹介されました。
会の成長は、具体的に会員数の増加にみられるわけですが、その喜ばしい現象は同時に、設立当初の会員構成を大幅に変え、会の内部に多様な声とニーズを取り込むことになります。この点についても、私は会長就任時の所信のなかで、その声とニーズに応えなければならないと表明いたしました。関東支部での開催に限定されてはいますが、「SMAT型のお子さんの保護者懇談会」と「成人会員向けの定例会」を開き、同時にT型メーリング・リストを立ち上げことは大きな成果と言えるでしょう。
ここで、SMAの人々を取り巻く状況に目を転じてみたいと思います。SMAの人々が各々の住む地域で、十分な医療・福祉・教育のサポートを受けること、これも本会の目標の一つです。設立当初から私の任期終了まで、この目標達成のための地道な活動は初代会長の福島さんを中心に行われてきました。現在、小児慢性特定疾患治療研究事業(「小慢」と略す)は法制化へ向けた最終局面を迎えていますが、小慢だけでなく、特定疾患治療研究事業に対しても、その対象疾患にSMAを加えるよう要望書を作成・提出し、関係者との話し合いを続けています。具体的な成果は現れていませんが、仕事の都合をつけながら平日に何度も中央官庁へ足を運び、SMAの公的認知へ向けて活動された役員の皆さんに私は感謝の言葉を贈りたいと思います。本会はSMAの公的認知へ向けて、東京女子医科大学と共同して疫学調査も進めており、これは新役員会へ引き継がれています。
最後になりますが、この2年間を回顧するにあたり、一切の雑務を引き受けられた事務局長の比企さんに感謝の言葉を述べなければなりません。私の「陰謀」により無理やりに就任させられたと言われながら、この2年間の会務で生じた雑務を引き受けられ、みごとに遂行されました。本当にありがとうございました。