2006年6月10日掲載

〜旅行記〜
○●○TRY後初!韓国へ○●○
海老原 宏美
ムンさん(右)・オモニ(中)・ミョンジャさん(左)
〜プレゼントの浴衣を着て〜

2001年の夏に韓国を1ヶ月間野宿旅してから早や4年…。その間、日本で1年間研修を受けたパクチャノさんが 韓国にも自立生活センター(CIL)を設立し、活発な活動を展開している、ということで、その訪問をかねて遊びにいきました。
職場の人とアテンダントと、合計6名(車いす2名、子ども1名、歩く人3名)で行ったのですが、TRYの時の仲間、ムン・サンミンさんのお家に泊めてもらうことに。
でも、ムンさん、日本語あまりワカリマセ?ン。英語もあまりデキマセ?ン(笑)
私は、野宿旅の間の片言のやり取りやジェスチャー、それこそ心を込めれば何でも通じる、の精神を経験していたので、全然心配していなかったのですが、旅の仲間にとっては随分心配だったでしょう(笑)
空港では、ムンさんの他、同じくTRYでお世話になった韓国のパパ(?)DPI韓国のイさん、そして、TRYのときのドライバー、ヤンさんに再会!
〜豪快な朝ごはん〜(↓)
ムンさんはお母さ
ん(オモニ)、お父さん(アボジ)、 妹 さん(ミョンジャさんとチユンさん)の5人暮らしでした。
みーんな日本語はワカリマセ?ン(爆)オモニとアボジは最初は車いすで闊歩する私達にちょっと戸惑いを見せていましたが、その内本当の家族のようにいろいろ世話を焼いてくれました。
朝起きたら、私達の洗濯物が、ムン家の洗濯物と一緒に干されていました(笑)
そして、私が現地で転んで頭を切り血が止まらなかったときも、オモニが平然と怪しげな粉を取り出してきて患部につけ、あっという間に止めてしまいました…。なんの粉…?
常にランニング姿のアボジは食べ物の名前を片っ端から教えてくれました。
カムジャ(ジャガイモ)、ホバ(ズッキーニ)、スバ(西瓜)、そしてコピ(コーヒー)…。
ミョンジャさんは私達を買い物や行きつけの飲み屋(!)に連れて行ってくれたり、おこちゃまを面倒みてくれたり。
チユンちゃんは料理が得意で、朝からがっつりプルコギなんぞ作ってくれました。
なんと言っても韓国は料理がすごい!!大きなテーブルに所狭しと並ぶ小皿。
ええ?!朝っぱらからこれは無理?…と思いきや、食べられてしまう私達…。
最後の夜にはみんなで顔パックしたりしてはじけました。
(↓)〜ムン家みんなで顔パック〜

街の中に繰り出すときは、CILの移送サービスを使ったり、DPIが車を出してくれたり、地下鉄を使ってみたりしました。
4年前とは随分変わり、地下鉄も使いやすくなっていて驚きです。
ただ、昇降リフトの距離が長過ぎて何十分もかかるのが玉に傷。 〜駅での階段昇降機〜(→)
チャノさんのCILはいろいろな事業を展開していて、エネルギーに満ちあふれていました。
国からのモデル事業としての予算もつき、頸椎損傷で一人暮らしをしている男性もいました。
介助制度はまだ24時間の保障はないのですが、徴兵に行く代わりに社会奉仕をすることができるのですが、その活動として介助をやっている人がいるそうです。だんだんその国独自のやり方を見つけていくんだなぁと、私ももっと頑張らないと…と元気づけられました。

今回、本当に感動したのは、TRYのメンバーが沢山集まってくれたこと。
イさん・ヤンさんを始め、同じくDPIの<おちゃらけ>マンソンさん、<ナルシス>パクさん、脳性麻痺のヒョンジン、健常者メンバーのテソプ、当時日本の院生だったキムさん…。ムンさんが連絡のつく限りいろんな人に連絡を取ってくれたのです。
ムンさんは「エビが来てくれたお陰で、自分も懐かしいメンバーに再会できた。エビのお陰だ、ありがとう!」と言ってくれました。私こそ、なにから何までお世話になって、ムンさんのお陰でこんなに楽しい旅が実現できたのに、なんてステキな人なんだろう。しかも、よく話を聞いたら、ムンさんは普段は仕事のため、別なところに住んでいて週末だけ家に帰ってくるそうなのですが、今回私達が行くからということで仕事まで休んで、泊めてくれたのでした。
韓国の人は、一度親しくなったら、本当に、家族のように接してくれるのです。心がじっくり、ほっくり暖まる時間を過ごすことができました。
今回一緒に行ったアテは、「私は韓国の人をかなり誤解していました。こんな親切で暖かい人たちだとは知らなかった!」とその後韓国語を習い始め、料理にはコチュジャンを欠かさなくなりました(笑)
また行きたいなー、韓国☆第2の祖国
お問合せ先:事務局
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